2024年11月12日15時より、AEFA事務所にて第1回学びの造形部会を開催し、環太平洋アジア交流協会と共同研究を実施しました(参加者10名 Zoom8名)。今回は野村亨・AEFA会員(慶応大学名誉教授)によるレクチャーで、テーマは「東南アジアのインド化をめぐって」とする研究発表です(次のレジュメ、PPTをご参照)。
(以下はテープ起こし)
フランス考古学者・ジョルジュセデスによる定義
戦前のインドシナ(ベトナム、カンボジア、ラオス)がフランス領であった時に、現在のベトナムの首都のハノイにフランス極東学院という研究所がありました。そこを拠点にインドシナ半島のいろんな遺跡を発掘調査した考古学者がおり、ジョルジュ・セデス(George Coedès)という人がいたのです。戦後、これらの国々が独立すると、フランス極東学院はパリに移転し、現在も存立しています。
セデス氏もフランスへ戻り、1960年代になって、これまでの仕事の集大成としてフランス語で「LES ÉTATS HINDOUISÉS D'INDOCHINE ET D'INDONÉSIE」という本を著しました。後にVera Wolter(オールターベラー)というアメリカの学者が翻訳し、「Indianized States of Southeast Asia」というタイトルで、ハワイ大学の出版局から出しました。
その中でセデスは、東南アジアの古代においてインド文化の影響を受けた古代国家を、フランス語でLes Etats Hindouisés、英語で Indianized States(インド化された諸国)というふうに名付けたのです。右の写真は、セデスの本の1964年版ですが、大学生だった頃に取り寄せ、読めないが、聞きながら読んだものです。
この冒頭のところで、セデスはインディアナイゼーション・アンドゥイザシオンとは何かという定義をしております。要素として、いろいろ書いてありますが、簡単に言いますと、インド的原理に基づく支配というふうに一言でいえるんではないかと思うのです。
まず、インド化の要素、エレメントとして、いくつかセデスが挙げております。まず最初はインドの古典語、文章語であります。サンスクリット語、日本では仏教の方に入ってきて、梵語という名称で使われております。このサンスクリット語を使う。
二番目にそれからインド系の文字を使うということですね。例えば、現在のタイ文字とか、カンボジアのクメール文字、ビルマ文字、その他東南アジアの文字のいくつかは、ほとんどがインド系の文字と変形したものですね。
それから三番目にインドの法体系を自分のところに導入し、自分の社会に合うようにして法典のようなものを作ったりしております。日本ですと中国の律令なんていうものを日本に導入したわけですけども、インドの場合はまあ基本にマヌ法典です。この法典を、東南アジアに合うように改変したものを作ったりしております。
それから四番目に、インド人の王様の名前。例えばIndravarmanとSûryavarmanなど。バルマンという王様の名前がいっぱいあります。例えばインドラというのは日本で言うと帝釈天ですね。スーリアというのは太陽神で、こういう神様に守られている人という意味ですね。こういう名前が王様の名前に使われる。
それから五番目として古典インド文化の代表的な文学として、Mahâbhârata(マハーバーラタ)とRâmâyana(ラマヤナ)という二大叙事詩、これを取り入れて自分たちに合うように改変したり、翻訳したりしています。例えばインドネシアのジャワの影絵芝居のような形のテーマにもなるという、このような要素です。これがそのインド化の内容であります。要するに東南アジアの初期の国家は、古代インド文明の影響を受けたということなんです。まずこれを前提として、覚えていただきたいのです。
東南アジアの全域と文化圏
東南アジアの全域化というと、そうではなく、ここに図を書きました。
ベトナムの北部中部は中国文化圏です。南の方はシャムとかクメールですからインド文化圏になります。それから東南アジアの中でフィリピン群島とインドネシアの東半分、パプアニューギニアの方に至る地域ですね。この地域は中国文化もインド文化も影響を及ぼしていないです。ですから、古代国家はできませんでした。今ご存知のように、フィリピン群島とインドネシアのロンボック島より東の方は圧倒的にカトリックキリスト教が強いわけですが、これは古代文明が全然できなかった後に、16世紀以降、そのヨーロッパ勢力が入ってきたので、そういう状態になったということでございます。
(続く)後日掲載