本記事は2024年11月、AEFA学びの造形部会で開催した講演録で、シリーズその2です(最初からお読みになりたい方は次のリンク先をクリック)。
インド化の時代区分について
次にインド化の時代について、一番古くて紀元後2世紀から3世紀ぐらい、日本で言うと邪馬台国の卑弥呼の時代ぐらいと考えていただいていいと思います。それから終わりの方は15世紀、日本で言うと、中世の足利時代ぐらいのところだと思ってください。三つの時期に分けられます。まず第一期が2世紀ぐらいから6世紀、日本で言うと聖徳太子の時代で飛鳥白鳳の時代になり、インド文化が伝来して小さい古代国家が方々にできてきた時代です。第二期が7世紀から12世紀、ご存知のようなにボロブドゥール、プランバナン、アンコールワットワットなど東南アジアの代表的な古代遺跡遺跡はすべてこの時代なります。日本で言うと、奈良から平安朝、鎌倉のはじめぐらいです。第三期は13世紀で非常に大きい変化が起こって15世紀ぐらいで衰退、変質していきます。その後はイスラムが広ります。
アンコール朝の水力社会について
東南アジアというのは、この東西文明の交差点というふうに考えていいと思います。ご存知のようにアンコールワットはカンボジアの代表的な遺跡です。9世紀から15世紀ぐらいにかけてできたもので、トンレ・サップという大きい湖の北岸にございます。このアンコール朝というのは、いろいろ王朝が代わっていますけれども、経済基盤は農業になります。あのアンコールワットは、図にあるとおり真ん中の下にある1箇所だけで、実はその周りに遺跡が広がっていて、いろんな時代にできているわけです。
特徴的なのはこの池です。人口の溜池(バライ)が両側にございます。現在は東側の溜池はほとんど埋まってしまって、平原なんですけど、西の方は現在もきれいに残っております。これは人工の溜池で、南北が2キロで東西が8キロあり、非常に大きい溜池です。明らかに人工とわかる長方形で、ここからトンレサップ湖が南側にあります。農業の田植えの時期になると、水が下に流れていくようにできています。堰があって、田植えの時期になると、その堰を開くわけです。そうすると、水が上から下へ広がっていって、それで田植えができる構造になっているのです。王様がこの水を供給するということで、尊敬されます。いわば水をコントロールすることによって、社会をまあ統治することです。アメリカのウィットフォーゲル(Wittvogel)という学者がHydraulic Society(水力社会)というふうに呼んでおります。その典型がアンコールワットです。つまり、水の支配が王権のオーソリティの根源だということです。ランドサット衛星で見ると、ちゃんとバライが今でも四角く黒く見えてます。下の方の黒いのがトレンサップ湖で、上の方が少し高くなって、傾斜しています。現在でも田んぼになっています。アンコール王朝時代には三期作、四期作できたのですが、現在は残念ながらバライの水をこっちへ流すところが詰まってしまい、この水が使えないのです。だから、今では雨季の時一回しか一期作しかできません。昔よりむしろ後退しているという非常に皮肉な状況であります。
(続く)後日掲載